■アゴタ・クリストフの「悪童日記」(1986)は、まさにページ・ターナー、あるいは、巻を置くを能わずと評すべき面白い小説でした。第二次世界大戦末期の東欧を舞台に、小学校入学前でありながら知的な双子がたくましく悲惨な状況を生き抜く話です。
■裏表紙に書かれた賛辞の中では「主人公の双子とその祖母は人間離れしていてほとんど怪物的だが、恐怖と抑圧に抵抗する人間精神の火花を感じさせる」(ル・モンド)「白い文体と、研ぎすまされて蒼い光を放つ刃のような結末をもった、完璧無比の作品」(カナール・アンシェネ)「頑固なまでの淡々とした語り口、調書のような現在形の記述・・・」(グローブ)というあたりは、その通りです。
■そうです。この作品の文章は何か違うのです。
■その秘密が、36頁「ぼくらの学習」という章に書かれています。ここでは、この双子が作文の練習をするときに決めた簡単なルールが説明されています。
「ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。僕らが記述するのは、あるがままの事実、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したことでなければならない。
たとえば、「お婆ちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「お婆ちゃんは魔女に似ていると言われている」と書くことは許されている。
なるほどです。
例えば、次のような例もあげられます。
× 従卒は親切だ
↓
〇 従卒はぼくらに毛布をくれる
× ぼくらはクルミの実が好きだ
↓
〇 ぼくらはクルミの実をたくさん食べる
まとめると、
「感情を定義する言葉は、非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。」
ということです。
この小説の、「白い文体」の独特な感じは、この姿勢から出てくるのでしょう。実際に、この小説は読みやすいのです。文章を書く場合の指針にしたい双子の教えでした。