
民法上、「胎児」には原則として権利能力はありませんが、例外として、不法行為を理由とする損害賠償請求権(721条)、相続(886条)、遺贈(965条)については、権利能力を有するものとみなされています。したがって、相続人の中に胎児も入ります。では、具体的な相続手続きで、胎児については誰が手続きを行うのでしょうか。
胎児である期間は限定的ですし、万一に死産となった場合は手続きのやり直しが必要などの理由もありますので、実務上は、胎児が出生してから、手続きをスタートさせることがほとんどであると思われます。ただし、例外的に、胎児の出生前に相続手続きを検討しなければいけない事情のケースもあり得ると思います。その場合、胎児と母親との利益相反があるかないかを検討したうえで、胎児の権利行使は法定代理人である母(母親との利益相反がない場合のみ)や、家庭裁判所が選任した特別代理人(最終的な判断は裁判官)が行います。登記実務では胎児の名義による登記の手順がルール化されています。
「胎児を相続人とする」意味
本来、相続は「同時存在の原則」に基づいて行われます。
相続は、相続人の死亡によって開始する(民法882条)ので、相続の原則は、被相続人が死亡したときに相続人は生きている必要があります(「同時存在の原則」)。
この「同時存在の原則」の例外が、「胎児は、生まれたときに相続権を取得する(民法886条)。」という規定です。
この理由は、胎児は、生きて生れてくる蓋然性が高いので、生まれるタイミングが遅いという本人の責任でないことを理由に、胎児を相続人から外すのは不公平と考えらえるからです。
各国の法制では、胎児の権利を包括的に認めるところもあるようですが、日本では、損害賠償請求権(721条)、相続(886条)、遺贈(965条)について、個別に胎児の権利を認める個別主義をとっているのです。
第886条 胎児は、相続については、既に生まれたものとみなす。
2 前項の規定は、胎児が死体で生まれたときは、適用しない。
親は胎児の代理人になれないことが多い
冒頭、記載したように、実務上は胎児が出生してからの手続きスタートということがほとんどのケースとなります。
しかし、胎児が出生する以前でも、相続手続きを開始したい場合は、胎児の利益を害さないように、代理人を立てられれば、手続きは進められます。胎児の相続権が問題になるケースでは、通常、父親が亡くなっているため、母親が胎児の代理人となれるかが問題になりましょう。
胎児の代理人については、はっきりした規定はないですが「胎児が出生したときに法定代理人となる親権者が胎児の法定代理人になる」という考え方があり、父親が死亡しているケースでは、母親が法定代理人候補です。
このとき、母親にも相続権がある事例では、母親が胎児の代理人として遺産分割協議に参加すると、仮に法定相続割合そおりでの遺産分割協議を目指していたとしても、外観上は母親と胎児の利害は一致しないとみられるので、母親は胎児にとって適切な代理人とは考えれらていません。
そのため、胎児の利益を守るためには、特別代理人を選任する必要があります。
(利益相反行為)
第826条親権を行う父又は母とその子との利益が相反する行為については、親権を行う者は、その子のために特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない。
2親権を行う者が数人の子に対して親権を行う場合において、その1人と他の子との利益が相反する行為については、親権を行う者は、その一方のために特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない。
特別代理人は、母親や胎児と利害関係のない第三者(相続人でない親族や弁護士など)が選任されます。特別代理人は、胎児の利益のために、遺産分割協議に参加することができます。特別代理人は、家庭裁判所の家事担当窓口に、相談をしながら選任申請手続きを行います。
親が胎児の代理人になれる場合
胎児の母親が相続人でなく、胎児が相続人である場合、かつ、胎児以外に母親が法定代理人である子供がいない場合であれば、母と胎児の間に遺産分割協議上の利益相反はないとも考えられます。
例えば、胎児でなく未成年者についての話ではありますが、国税庁のホームページには次のような質疑応答が載っています。
<質問>
被相続人甲は、妻乙との間に子2人(成年者)がありましたが、妻以外の女性丙との間にも子が2人(うち未成年者1人)あり、生前に認知していました。
甲の死亡に係る相続に関し、相続人である妻乙と子供4人で遺産を協議分割し、その分割に基づいて相続税の申告をすることになりましたが、相続税の申告書に添付する遺産分割協議書には、未成年者である子に代理して親権者である丙が署名、押印すれば、家庭裁判所で特別代理人の選出を受けなくてもよいと考えますがどうでしょうか。なお、丙は包括受遺者ではありません。
<回答>
丙の親権に服する子が1人の場合には、照会意見のとおりで差し支えありません。しかし、同じ者の親権に服する未成年者が2人以上いる場合には、そのうちの1人について親権者が法定代理人となり、他の未成年者については、それぞれ特別代理人の選任を必要とします。
(注) 未成年者の親権者が共同相続人であり、その子とともに遺産分割の協議に参加する場合には、民法第826条(利益相反行為)の規定により特別代理人の選任を要しますが、親権者が共同相続人としてその遺産分割に参加しない場合には、同条の適用はありませんので、法定代理人である親権者の同意のみで足ります。ただし、子が2人以上いる場合において、その1人の子と他の子との利益が相反する行為については、子のうちの1人を除き、特別代理人の選任を要します(同条第2項)。
参照 : https://www.nta.go.jp/law/shitsugi/sozoku/19/01.htm
特別代理人の選任手続き
胎児であれ、出生後の未成年の子であれ、特別代理人は、家庭裁判所に選任を申請する必要があります。その手続きは、家庭裁判所のホームページ「特別代理人選任(親権者とその子との利益相反の場合)」に説明があります。 参照:https://www.courts.go.jp/saiban/syurui/syurui_kazi/kazi_06_11/index.html
ただし、ここで説明されているのは、子供が出生後のことです。胎児にはどのような手続きが踏まれるのかは、明確には記載がありません。例えば、標準的には、未成年の子供の戸籍の提出が必要ですが、胎児に戸籍はありませんので、母子手帳等で疎明する必要がありそうです。しかし家庭裁判所の判断もありますので、個別事例に即して、管轄の家庭裁判所に、出生を待たずに遺産分割協議が必要な事情を説明し、必要な書類等を確認する必要があると思います。
遺産分割協議はいつ行うか?
民法は胎児に相続権を認めていますので、胎児を除いて行った遺産分割協議は無効です。実務上は、胎児の誕生を待って、生まれた子供に、家庭裁判所で特別代理人を選任してもらって、他の相続人全員と遺産分割協議を行うのが普通です。
ただ、この場合、税金の問題があります。相続税の申告は、被相続人が死亡したことを知った日(通常の場合は、被相続人の死亡の日)の翌日から10か月以内に行うことになっています。したがって、相続人に胎児がいるので10か月以内に、遺産分割協議や相続税の申告ができない恐れがあるなら、早めに税務署や税理士にご相談ください。
誕生までは相続手続きを待つことはできない事情がある場合もあるでしょう。その場合は、利害関係者の申出によって、胎児に特別代理人を家庭裁判所が選任してくれれば、誕生前に遺産分割協議が可能となります。しかし、胎児が死産だった場合には、胎児は相続人として扱われませんので、遺産分割協議はやり直しとなります。
家庭裁判所に、胎児の為に特別代理人を選任してくださいと申請する窓口は、家庭裁判所の家事係です。
そのため、遺産分割協議を急ぐ特段の事情がない限りは、出生後に特別代理人を選任し、協議をすることが望ましいと考えられています。
・窪田充見「家族法」第4版508頁 もほぼ同趣旨の記載がされています。
胎児名義の登記は可能
理論的には、判例は、胎児の権利は「停止条件説」に立っています。停止条件説とは、胎児は出生するまでは権利能力がなく、出生することで権利能力を取得するという考え方です。
一方、胎児について、解除条件説という考え方もあります。解除条件説とは、胎児は出生する前から相続する権利があり、死産となったときにだけ、相続開始のときにさかのぼって相続する権利がなかったとする考え方です。
不動産登記実務では、胎児名義の登記手続きも認められていますが、それは解除条件説の考え方に基づくものです(ただし、厳密には登記は法律行為でないという指摘もありますが)。 参考:法務省民二第538号令和5年3月28日
(1) 胎児を相続人とする相続による所有権の移転の登記の申請において、申請情報の内容とする申請人たる胎児の表示は 「何某(母の氏、名)胎児」とするものとする。
(2) 登記の記録は、別紙3の振り合いによるものとする。 別紙3⇒「所有権移転登記(胎児の相続)/ 原因 令和何年何月何日相続」「登記名義人の氏名等の変更の登記(胎児が生きて生まれた場合)/ 原因 令和何年何月何日出生 として 名義人の氏名変更」「所有権の更正の登記(胎児が死体で生まれた場合)/ 原因 錯誤 」
(3) 本取扱いは、令和5年4月1日以後にされる登記の申請から実施するものとする。
胎児の相続税手続き
1.申告期限内に胎児が出生しない場合
相続税の申告手続きは、相続発生から10か月以内に行う必要があります。この申告期限までに胎児が出生しない場合は、胎児はいないものとして相続税を申告します(相続税法基本通達11の2-3、15-3)。
①胎児であった相続人の相続税申告の期限は、法定代理人が胎児の出生を知った日の翌日から10か月以内となります(相続税法基本通達27-4(6))。
②胎児以外の相続人は4か月以内に更正の請求をします。
・相続税を申告したのちに胎児が出生すると、胎児以外の相続人の税額が変わります。
・胎児以外の相続人が納めた相続税が過大となる場合は、胎児の出生を知った日の翌日から4か月以内に更正の請求を行い、還付を受けることができます。
2.胎児の出生で申告義務がなくなる場合
胎児が生まれれば相続人の数が増え、相続税の申告義務がなくなる場合(「基礎控除」は「3000万円+(600万円×法定相続人の数)」)は、税務署に申し出ることで、胎児の出生後2か月の範囲内で申告期限を延長することができます(相続税法基本通達27-6)。
3.申告期限内に胎児が生れた場合
相続税の申告期限までに胎児が生れた場合は、胎児だった子を相続人に含めて相続税を申告します。この場合の申告期限は、法定代理人が胎児の出生を知った日の翌日から10か月以内です(相続税法基本通達27-4(6))。
まとめ
胎児の出生前に相続手続きを進めることは、理論的には可能ですが、特別代理人の選任が管轄の家庭裁判所で認めてもらえるか、登記を胎児名義でしたとしても、名前が決まってから登記の更生が必要であること、万一胎児が死産であった場合には、遺産分割協議の修正が必要であること、金融機関が、胎児を含めた遺産分割協議書に同意してくれるか・・・など、検討点が多いのは事実です。
もし、胎児が相続人となる可能性がある場合は、専門家、家庭裁判所、金融機関、税務署等に相談しながら、対応をお考えになることになろうかと思います。お困りの際は、当事務所にもお気軽にお問合せください。